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名護博物館ブログ

ウィルソンが見た沖縄 〜琉球の植物研究史100年とともに〜

「ウィルソンが見た沖縄 〜琉球の植物研究史100年とともに〜」が海洋博公園の熱帯ドリームセンターで現在開催中です。当館も協力している展示会です。


(クリックして「オリジナルサイズを表示」で大きな画像を見ることができます)

伝説の英国人プラントハンター、ウィルソンが、今からちょうど100年前1917年に撮影した植物を中心とした沖縄の風景写真49枚が展示されています。
ウィルソンは、沖縄を訪れる数年前に屋久島で巨大な屋久杉の切株(ウィルソン株)を発見し、その名前を残したことでよく知られています。


展示は、ドリームセンターの回廊を利用して大型写真パネルを壁に貼り付けており、緑に囲まれてゆったりとした雰囲気で見ることができます。
撮影場所が特定された写真については、現在の写真も一緒に展示されていますので、100年の変化を見比べることもできます。


初日の11月3日には、この展示会を行うきっかけとなったウィルソン研究家の古居さんによる講演会があったので、見に行ってきました。
展示されている49枚の中には名護市の写真も10枚あり、私も1年半ほど前から場所の特定に関わってきたので、ぜひ足を運びたいと思っていました。

講演会では、展示で多くは語られていない裏話を聴くことができ、大変興味深かったです。
例えば、ウィルソンの足跡を追う旅でアメリカで偶然100年前の日本の写真に出会ったこと、それらの撮影場所を探す旅、写真に写っていた人々の特定に至るまでの経緯と子孫との運命的な出会い・・・などなどです。

また、後で述べますが、ウィルソンの生涯とともに紹介された彼の言葉や自然に対する熱意は、非常に私の琴線に触れるもので、深い感動を覚えました。

講演の後には、古居さんによる展示解説もありました。
展示の最初に、ウィルソンが沖縄の前に足を運んだ屋久島の写真が少し紹介されており、ほぼ実物大に引き伸ばされた大迫力のウィルソン株の写真があります。


現在のデジタルカメラと違い、これほど引き伸ばしても鮮明な解像度を維持しており、驚嘆に値します。
ぜひ、会場にてご自分の目で確かめて頂きたい一枚です。


100年前の屋我地島(現名護市)の写真を説明する古居さん

手前の写真には、名護市指定天然記念物の「屋我のコバテイシ並木」の一部が写りこんでいます。
そして何と言ってもその奥の写真(手前から2番目)に写っている墨屋原のコバテイシは、100年前から現在に至るまで、その堂々たる姿を保ったままそこに立ち続けています。


手前の写真の現在場所屋我地島 2017年3月14日)
右側に屋我のコバテイシ並木が写っています。


現在の墨屋原のコバテイシ屋我地島 2016年2月23日)

今回展示された49枚のうち、100年前に撮影された木がそのまま現存していたのは、阿嘉島のアカテツと、この墨屋原のコバテイシの2本のみです。
戦災や開発の著しかった沖縄において、現在にその姿を残しているのは奇跡的と言えるかもしれません。

樹高約16 mのこのコバテイシは昔から名木として知られていたものの、文化財指定には至っていませんでした。
今回、ウィルソンの写真が見つかったことにより、100年前にはすでに現在とほとんど変わらない大木だったことが判明しました。
ぜひ、地域の宝として次世代に残してもらいたい名木です。


室内では、ウィルソンが採集した貴重な標本や著書などの展示もされていました。
また、ウィルソンの調査に同行した沖縄の植物学者・園原咲也氏に関する展示もありました。

100年前の写真には、若き日の園原氏が写っているのですが、調査当初は誰だかわからなかったそうです。
古居さんが沖縄での調査を進める中で、運命的とも言える出会いがあり、ドラマチックにその事実が判明したとのことですが、その詳細については、ぜひ会場で確かめて頂きたいですね。

園原氏は、現在の名護市宇茂佐にある県立北部農林高校で教鞭をとっていたこともあり、教え子には「園原タンメー」と呼ばれて親しまれていたようです。
彼に関する逸話はたくさんあり、亡くなって30年以上経った今でもやんばるの人々に語り継がれています。
北部農林高校関係者には必見の展示内容ではないでしょうか!

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さて、展示会および講演会で紹介されていたウィルソンの言葉には下記のようなものがありました。

「もし写真や標本で記録を残さなかったならば、100年後にその多くは消えてなくなってしまうだろう。」

“If we do not get such records of them in the shape of photographs and specimens, a hundred years hence many will have disappeared entirely.”   

   E. H. Wilson (展示会図録*1からの引用)

私は、撮影場所特定の調査を行う中で、古居さんからウィルソンのこの言葉を教えてもらい、深い感銘を受けました。
おそらく、博物館関係者は、この言葉に心動かされる方も多いのではないかと思います。

この言葉こそ、地域の財産を次世代に残すという博物館の使命そのものを言い現しており、それを成し遂げた彼の想いとその努力に深い敬意を感じずにはいられないからです。

「今」そこにある風景や自然に価値を見出し、記録して次世代に残すことは簡単なことのようで実に難しいことです。
日常に流されずにこれを実行するためには、強い信念と地道な努力が必要だと切に感じます。

ましてや、100年前の今よりはるかに不便だった時代、カメラが登場したばかりの頃に重い器材を持ち運び、異国の地で旅を続けながら標本を作り続け、適切に管理したウィルソンの努力は計り知れません。
私も一応学芸員のはしくれとして、標本を作るのがいかに手間がかかり時間を要するものか知っているつもりです。

彼の確固たる信念と努力によって残された100年前の鮮明な写真や標本を見た時、それらに込められた彼の想いや現在の我々へのメッセージをも受け取った気がして、胸に熱くこみあげてくるものがありました。

図録には載っていないのですが、展示会と講演会では、彼のこのような言葉も紹介されていました。

「あなたが森を破壊する時、あなたはまた自然のバランスを壊しているのだ。植物はその有益性や美しさだけでなく、私たち動物にとって有害な二酸化炭素を吸収することで重要な役割を果たしている。彼らなしに私たちは生きていけないのだ。将来の世代のために今の世代ができることは、森を守っていくことに尽きるということを忘れてはいけない。」

これは、ここ十年ほどで日本でも広く知られるようになった「生態系サービス」の概念そのものです。
自然保護を盲目的に訴えるだけでなく、森林の機能を100年も前に的確に指摘した彼の先見性と将来の世代を思い遣る気持ちに、またもや深い感銘を受けました。

戦争と戦後の開発でウィルソンが撮影した景色のほとんどを失ってしまった我々が、多くを学ばなければならない一言だと思います。

「ウィルソンが見た沖縄 〜琉球の植物研究史100年とともに〜」の熱帯ドリームセンターでの開催は来年1月7日まで。
ぜひ多くの方に見て頂きたい展示会です。

なお、この記事で引用した展示図録は、会場で販売されています。
また、古居さんのほかの著書も紹介されていますので、ぜひご覧ください。

(NM)

*1:古居智子, 2017. Wilson in Okinawa ウィルソン 沖縄の旅 1917. 琉球新報社, 沖縄, pp.112